自然体

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ライフネット生命 スタッフ

シルバーウィークに実家のある高知県に里帰りしてきました。

いつもは山奥にある祖母の家でのんびりしているのですが、
今回は天気もよさそうなので四万十川のある県西部に足を伸ばしてみました。

普段車を使わないので長時間のドライブは久しぶりでもあるのですが、
いつの間にか高速道路が延びていて、思ったよりも短い時間で行き着くことができました。

四万十川は全国的に有名ですが、沈下橋もまた四万十川を紹介する際に欠かせない要素の一つです。

wikipediaによると四万十川には47の沈下橋があるようです。
-------引用--------
高知県の四万十川には支流も含め47の沈下橋がある。吉野川流域では潜水橋や潜り橋と呼び、四万十川流域では沈下橋と呼ぶ。1993年に高知県では沈下橋を生活文化遺産ととらえ保存し後世に残すという方針を決定している。現存する高知県で最古の沈下橋は、1935年(昭和10年)に架けられた四万十川の一斗俵沈下橋である。
-------引用終わり--------

今回だけでも20くらいは目にしたと思うので、まだまだあるなあという印象ですが、なぜ沈下橋に惹かれるのか、少し考えてみました。

沈下橋は欄干がないか、あってもかなり低く、増水した時には水面下に没しますし、もし壊れても再建が簡単なので最初から流されることを前提としているものもあります。日常の生活道路、という目的に照らせば非常に合理的な作り方とも言えそうです。

殆どの沈下橋は車一台がやっと通れるくらいの幅しかありません。車から降りて歩いて渡りたい、という人が殆どなので、車と人とが橋の上で、車も人の歩く速度に合わせて、お互いがホントにすれすれの距離ですれ違う瞬間が、いつになく「のんびり」「落ちないかヒヤヒヤ」「ちょっとした触れ合い」といった風情をかもし出しているところも惹かれる理由でしょうか。

それでも、架け替えを除けばこれから新しく沈下橋が作られる可能性はかなり少ないでしょう。「失われていくもの」についてはノスタルジーを禁じえないのも人間ですが、同時に「自分の中で失われていくもの」についてもどこか感じるところがあるような気がします。初めて訪れた場所なのにそんな気がしない、誰もが子ども時代を思い出す、そんな風になるのも、自然体のままの自分を取り戻そうとする気持ちがどこかにあるからかもしれませんね。

松岡

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