先日、代々木公園の一角にある渋谷区立ポニー公園へ、息子と行く機会があった。
ポニーとは言え、自分よりもはるかに大きな動物に、
「きっとおびえて泣いちゃうんだろーなー」と勝手な決め付けをしながら公園内へ入ってみた。
ほうほう、結構お子さんがいる。ベンチもある。入園無料だし、今後も使えそう。
などと、考えていると、あら・・・、息子がいない。
(この写真はポニーのイメージ画像です。ポニー公園とは関係ありません)
どこ行った?と公園内をぐるりと見渡す。
すると、ポニー放し飼いのエリアを囲む柵を握りしめ、
顔を隙間につっこんで、ポニーを真剣に見ているではないか。
「ポニーがびっくりして手を噛んじゃうこともあるよ!気をつけて!」という張り紙の横で
「僕の顔噛んでー!」と言わんばかりに全身を差し出している。
私が「危ないよ~」と声をかけると、手で私を払いのけ、こう言った。
「乗ゆ!!」(乗る)
確かにそこの公園では、ちょうど無料でポニー試乗会というのをやっていて
子どもたちがポニーにまたがって柵内を2周できるようになっていた。
しかし。
ポニー初対面、しかもポニーとは乗れる動物であるということを教わったこともない子が
キラキラとした目で「ポニーに乗らなければならない」という使命感に燃えるとは。
その後、乗るー!と泣き叫び、並んでいる小学生のお姉ちゃん・お兄ちゃんたちに
「先に乗ってもいいよ、泣かないで」と優しく諭され、
ポニーに体当たりで愛のハグをするという行為をやってのけ、彼は馬上の人となった。
『ファインディング・ニモ』という映画をご存じだろうか。カクレクマノミの親子の話。
ふと、その1シーンを思い出した。
いつまでも息子のニモを子ども扱いする父のマーリンが息子のニモにこう言う場面がある。
「自分では大丈夫と思っても、お前には無理なんだよ!」
ああ、こういう言葉が子どもの心に傷を作ってコンプレックスの原因になるんだよな、とか
子どもの可能性を閉じちゃうようなこと、自分は言わないようにしよう、とか
客観的に思うことはあれど、口には出さないだけで、
息子のできる・できないを自分だって勝手に決め付けているふしがある。
現に、目の前の息子は、私の心配をよそにポニーを颯爽と乗りこなしているではないか!
(注:実際は、またがっているのをポニーが運んでくれていると言ったほうが正しい)
そういえば、ライフネット生命だって、「ネット生保ぉ?そんなの常識的に考えて無理だよ無理」
なんて言われることもあるし、そういう意見を言う人はたくさんいる。
ネガティブな考えを否定はしないし、悔しいなら結果を出すだけなのだが、
ある日のポニーと息子を見て、「成長の可能性」を信じる心がますます強くなり、
ライフネット生命の今後に、より一層の自信がついたのだった。
また行こう、ポニー公園。
マーケティング部 川端