視線

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

システム部の吉見です。
今回は、日常の「取るに足りない些細なこと」を可能な限り一般化、抽象化してみたいと思います。

『視線』
目は口ほどにものを言う、と言いますが、視線というのはとても強い力をもっています。
例えば、「目が合ったなどと言い争いになり・・・」という表現をよく新聞などで見かけますが、「目が合う」だけで事件に発展したりするわけです。結構危険です。

そんな強い力をもった「視線」に囚われる、ということを先日経験しました。自分の視線が気になってしょうがないという状態です。

自分の視線が気になってしょうがない、というのは考えてみれば少し妙な表現です。より正確に言うなら、「自分の視線」を見ている「他人の視線」が気になるというか。いや、まだちゃんと表現できていないですね。「自分の視線」を見ている「他人の視線」を見ている「自分の視線」が気になるというか。
う~ん。これでも表現し切れてない気がします。

別の言い方をしてみます。
決して見たいわけじゃない。見たくないと言ってもいい。いや、見たいわけでも見たくないわけでもない。むしろ私は、見たい、見たくないの彼岸で超然としていたいのだ。でも、ちょっとだけ目が行ってしまう。その事実は認めよう。ので、敢えて目が行かないようにしている。目を逸らしているといってもいい。でも今は、目を逸らしていること自体不自然なシチュエーションなんじゃないか? 逆にぎこちなく映っていたらどうしよう? ひょっとして目が泳いでいるように見えてないだろうか? 目が泳いでいるところを見られて、「本当は見たいくせに・・・(笑)」なんて思われたらどうしよう? 実際は真逆。決して見たいわけじゃないのに。むしろ見たくないのに(以下、最初に戻る)。そんなループに陥ったわけです。

そもそも見たいわけではないのに目が行ってしまうもの、というのはいろいろとあって、たいていは特定のシェイプやマテリアルだったりします。なぜそんなものが、抗し難く視線を捕えるのかというと、思うにそれは、種として生き残るために必要な視覚情報として太古の昔から人類が見分けてきたものだから、ではないかと。例えば、黒板を生爪で、あるいは、硝子を釘で引っ掻いた時の音を不快に感じ、耳を塞ぎたくなるのは、太古の昔、ああいう音を発する人類にとって危険な何か(野生動物とか)がいたからだという説があります(うろ覚え)。それと同じでどうしても目が行ってしまうのはそれが太古の記憶だからではないかと思うのです。まぁ、そんなわけはないのですが。でも、そうであるとしか思えないほど、オートマティックにそうなってしまいます。なので、ここはしょうがないものとして潔く受入れましょう。

では、目が行ってしまうことはしょうがないとして、その後に起こるループ問題はどう考えればいいのでしょうか。

視線というのはそもそも構造的に入れ子です。ある種の合わせ鏡といってもいいでしょう。これは光学的に言ってもそうですし、視線というものがもつ「意味」の次元でもそうです。例えば、 ( 私の視線がもつ意味 )  というのにも、 ( 私の認識する ( 私の視線がもつ意味 ))  と ( 相手の認識する ( 私の視線がもつ意味 )) があります。つまり、「見ている」と「見られている」です。さらに、 ( 私の認識する ( 相手の認識する ( 私の視線がもつ意味 )))  というのは、「見たいと思ってると思われていたらどうしよう」という状態ですね。さらに、 ( 私の認識する ( 相手の認識する ( 私の認識する ( 相手の認識する ( 私の視線がもつ意味 ))))) は、「 『見たいと思っていると思われていたらどしよう』と思っているからこんなにぎこちなく視線が動くんだ、なんて思われていたらどうしよう 」 という状態ですね。さらに、 ( 私の認識する ( 相手の認識する ( 私の認識する ( 相手の認識する ( 私の認識する・・・・も、もう、やめにしましょう。

この入れ子は無限に続きます。でも考えてみればこれは構造的なものですね。異なる主体がいて、その間に交通がある(意味の交換がある)場合は、このような入れ子になります。これは「言葉」の場合も同じです。上述の「視線」を「言葉」に置き換えてもまったく同じ入れ子構造ができます。なので、これもやむなしかと。

ちなみに、視線をシャットダウンする、目をつぶる、というソリューションがあるようにも思えるのですが、「 あ~ぁ、困って目をつぶっちゃった・・・(苦笑)」 とか思われたらそれはそれで不本意だし。と、ここでまた例のループが始まってしまうのです。どうもこのループから逃れる術は無さそうです。

以上、全く身動き取れないほど混雑した地下鉄で、乗り込む際に顔の向きをうっかり間違えてしまったため、三面鏡のように三方を囲まれてしまい、極めて至近距離から3名の見知らぬ人と対面せざるを得なくなった、とある朝の5分間に思ったこと、でした。

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