生きるって難しい(駄文)

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ライフネット生命 スタッフ

「社会起業家」と言う言葉が数年前に一世を風靡したのを覚えてらっしゃいますか?最近耳にする機会が減ったと思いませんか?

思い起こすと、2000年代に入ってからと言うもの、政府や企業セクターでは、CSR、SRI、ESG活動、マイクロファイナンス、NGOなどに始まり、数年前からは、ソーシャルアントレプレナー、ソーシャルエンタープライズ、ソーシャルイノベーション、現在はソーシャルグッドと言う言葉が視界に入って来ています。社会的に価値ある事を協力してやりましょう、と言うことでしょうか。

また身の回りを見渡してみても、NPO、市民ボランティア、ギャザリングや勉強会、イクメン、ロハスなど、社会と個人との関係に大きな変化が起きている事も読み取れます。20年前は「24時間働けますか?」が合言葉だったものも、今ではどこを見渡してもワークライフバランスが叫ばれています。
また、書店に行ってみても、記憶に新しい「シェア」に始まり、現在世界的ベストセラーになっている「ワーク・シフト」など個人の生き方を問うような書籍が溢れ、社会の活動領域から、ライフスタイルに至るまで、百花繚乱の様相です。

ブータン国王が来日され、内閣府でも「幸福度に関する研究会」が立ち上がるなど、「幸福度」という言葉が注目されたのも記憶に新しいところですが、シニカルな自分などは、所得が減少し続け、今後も増えそうにないので、自助努力、自己責任を求めつつも、貨幣経済以外の価値に目を向け、新たな社会的価値感を植え付けるための、政官メディアが競合した壮大なプロパガンダなんじゃないかと疑ってしまいます。

もちろん、国内だけを見渡せば、リストラ、失業率やニートの増加、低所得者層や生活保護世帯数の増加、決められないと言われる政治への不信・不満、上がる見込みのない所得に対して上がり続ける個人課税や控除の廃止、電気料金の値上げに始まり、いつ来るともわからない災害など、漠然として出口の見えない将来不安を煽るようなニュースが、毎日これでもかとメディアから垂れ流されていることも一因であり、これら鬱積したものが、ハケ口を見出しているとも言えます。

がしかし、社会環境や社会経済システムの変化・変革に関する多くの論文や書物が出版され、もはや待ったなしに、私たちの社会が変革期にある事も事実のようです。
・指示するというスタイルからパートナーと見なし、いかに協力して望む結果を共に生み出すというスタイルが重要になる。「ネクスト・ソサエティ(P・F・ドラッカー著)」
・「食えるだけの仕事」から意味を感じる仕事へ、忙しいだけの仕事から価値ある経験としての仕事へ、勝つための仕事からともに生きるための仕事へ「ワークシフト(リンダ・グラットン)」
・金銭を介さないボランティアや自己完結型の日常の行為、無給労働などが、科学技術の進歩に伴って、実は金銭経済と同等以上の規模に膨らんでいく「富の未来(アルビン・トフラー」

いろいろ意見はあるかと思いますが、世界的なベストセラー(≒多くの人に支持されている)が、ある一定のベクトルを持って語られているようでなりません。

誤解を恐れずに言えば、それら全てに共通するのは、グローバリゼーションやインターネットの進展、人口構成の大変動や借金を前提とした経済の限界などによって、産業革命に匹敵する大きな社会変革期にある。もはや労働対価として所得を得たり、大量消費経済からは脱皮せざるを得ず、働き方や生き方を自分自身で主体的に構築して行かざるを得ない。そのプロセスは、多くの人々と協力して社会的に価値のある事をやっていくことで、社会も個人も良い方向に向かう。と言うようなものでは無いかと思います。

かくいう私も、営利・非営利問わず、様々な活動に携わっています。
復興支援に始まり、和僑的な活動、地域活性化、教育関係など多義に渡るのですが、そのどれもがある一定のベクトルを伴っている事が最近わかりました。と同時に、有限のリソースの中で、結局は何を大切にして、何を捨てざるを得ないのかの選択を迫られている気がしています。

ここに2つのエピソードをご紹介させてください。

1つ目は、あるご高齢の方から言われた言葉がとても印象的でした。曰く、
「自分たちが活きた時代に自由は無かった。一方通行のレールの上をひたすら走っていた気がする。離脱する事も、わき道に逸れる事も良しとされなかった。しかしながら、君たちには自由がある。あわないと思えば離婚するし、より良い道が見つかれば仕事も変える。国境も平気で超えられる。ただし、自由の中で自ら選択をするという教育だけは受けて来なかったようだ・・・。」

2つ目は、今年の初めに実家に帰った折にふと考えたことです。
1年に1回実家に帰るとする。父親は現在64歳で、平均余命からすると、後15年。母親は同様に25年。と言うことは、単純計算で父親にはあと15回、母親には25回しか会えない。昔一緒に暮らしていた事を考えると、あと1カ月くらいしか時間を共にする事ができない。「親孝行しようと思った時には、孝行する親はもういない」とはよく聞く言葉ですが、実感を伴った瞬間でした。回数を増やすか、1回の密度を濃くすか・・・。

自分なりの哲学を持って生きて行きたいと思う今日この頃です。

菅宏司

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