人はいかにしてヒネクレるのか

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

自分がどんなふうに物事を考えているのか、たまに考えてみることがあるのですが、数学をやってきたので、その影響は大きく受けているように思います。

たとえば、数学の問題を解くとき、あえて「一般化」をすると問題の本質が見えてくる場合があります。数学の場合、問題が「○○ならば△△」といったように、前提条件○○と結論△△がはっきり分かれていることが多いです。(数学において)一般化するというのは、この前提条件○○を広げる(一部の条件を緩めたり外したりする)ことを言います。

もちろん前提条件を広げてしまうと、そのまま結論が正しいとは限らなくなりますが、少ない前提条件だけでどこまで結論に近づくことができるかがわかれば、そこから元の問題の解法が見つかる可能性も出てきます。こういうやり方は、かえって問題を難しくしてしまうこともありますが、うまくいけば、余計な条件に惑わされずズバッと本質に迫ることができる利点もあります。

日常の議論では、結論やそこに至るまでのロジックと比べて、前提条件はそれほど明確でないこともしばしばあります。それは、使っている言葉の定義だったり現状の認識といったものが暗黙の了解の上に前提とされていることがあるからです。
そのため、お互いの「暗黙の前提」が実は違っていて議論がかみ合わないといったことも起こりえます。

結論の正しさは、前提条件とロジックの正しさによって決まりますが、前提条件はそもそもそれが正しいという「仮定」なので、当然だと思っていることや議論の余地のない(はず)のものだったりします。
そのような前提をあえて外したり変えてみたりすることにより、当たり前と思っていたことが実は当たり前でなかったと気づくこともあるかもしれませんし、これまで見えていなかった別の視点というもののが生まれてくるかもしれません。

とはいえ、数学ではなく日常の話では、時と場合に応じて、あまりやりすぎないほうがいいこともあるようです。
たとえば、飲み会の席で恋愛話で盛り上がっていて「男女間で分かり合うことの難しさ」みたいな話題になった時に、「いやいや男同士とか女同士とかでもそういうことはあるでしょう。だから男女間の問題ではなくて人と人とのもっと一般的な話じゃないですか」などと言っても軽く聞き流されるのがオチでしょう。
また、会議の席でも話を不必要に広げすぎてしまったり、議論を混ぜ返すだけだったり、かえって結論にたどりつかなくなることもあるかもしれません。
ということがわかっていても、ついついやりすぎてしまうことがあるのですが・・・
結局、あまりこういうことばかりやってると、理屈っぽくてヒネクレた人になってしまいますよ、役には立つこともありますがほどほどにしましょうという話かもしれません。

数理部 岸本

  • このエントリーをはてなブックマークに追加する
  • Twitterでつぶやく

ページの先頭へ戻る