時間泥棒

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

先日、書店でふとミヒャエル・エンデ作の『モモ』が目にとまり、娘のために購入しました。
読み終えた娘に「すっごく面白かった!ママはどこが面白かった?どうしておすすめしたの?」
と聞かれたのですが、薦めたにもかかわらず、確か時間泥棒の話だった・・・程度にしか覚えていなかったため、今さらですが読み直すことにしました。

児童書だしと軽い気持ちで読み始めたのですが、面白い。ものすごく深い。児童書恐るべし。

中でもとりわけ主人公モモの大切な友人である“道路掃除夫 ベッポ”の言葉にしびれました。

以下、ベッポが休み休み語る言葉部分のみ引用
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「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おっそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」
・・・
「そこでせかせかと働き出す。どんどんスピードをあげてゆく。ときどき目をあげて見るんだが、いつ見てものこりの道路はちっともへっていない。だからもっとすごいいきおいで働きまくる。心配でたまらないんだ。そしてしまいには息がきれて、動けなくなってしまう。道路はまだのこっているのにな。こういうやり方はいかんのだ。」
・・・
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん、わかるかな?つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸(いき)のことだけ、つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ。いつもただつぎのことだけをな。」
・・・
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな、たのしければ、仕事がうまくはかどる。こういうふうにやらにゃあだめなんだ。」
・・・
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息もきれていない。」

(ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、『モモ』 岩波少年文庫 2005年 52-53頁)
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確かに私も遠い道の先の理想を思っては、「どうやって辿りつけば良いか全然ワカラナイノデス」と悩む事がありますが、ワカラナイノデスと嘆いて勝手に疲れているよりも、目の前にあることを丁寧に一つずつこなしていくべきなのだと教えられました。
でも欲を言えば、次の一歩よりもう少し先、次の十歩くらいは見据えつつ進みたいですけど。

また、この本は「生活を豊かにするためにと時間を無駄にしないようにすること」が、かえって本当に豊かな生活を奪うことになりかねないと警鐘を鳴らし、「生きるとは」「時間とは」何かについて深く考えるきっかけを与えてくれます。

わが身を振り返ると、1日に何度娘に向かって「早く!」「もう時間!」と言っていることか。そして、「今○○をしておけば、あとでゆっくりする時間ができるでしょう」と言っておきながら、やっと娘がのんびりとした時間を手に入れたら「せっかく早く終わったのだから、これやりなさい、早く寝なさい」とその時間を奪っていたのではないかと気付かされました。

先週末、娘に「今日、何したい?」とたずねたところ
「一日中、お布団にミノムシみたいにくるまって、本を読みたい。お腹が空いたらその時だけ出てあんまんと肉まん食べてまたミノムシになる」
との答えがかえってきました。その時は、せっかく良い天気なのにもったいないと、外に連れ出したのですが、今考えると、彼女にとっては、ミノムシが何より豊かな休日だったのでしょう。親はどうしてもあれこれと予定を入れ、色々な体験をさせたいと欲張ってしまいがちですが、本来子どもは「ひまな時間」をたっぷりと持ち、ゆっくりとした時間の流れの中で生活すべきではないか、自分は子ども時代にそうやって過ごしてきたのではなかったかということも、この本を読んで思い出しました。ひまな時間があってこそ、子どもは空想の世界にどっぷりとつかって、想像力を思う存分はたらかせることができるのでしょうね。

「時間がない」「時間がもったいない」は大人の都合で、子どもにとって本当にもったいな時間は「ひまな時間」だったのかもしれません。

年末年始は親子でファンダジー本を積み上げて、コタツにもぐってミノムシになろうかな。
ファンタジー本は大人にこそおすすめです。

お客さま相談部 牛島

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