折り紙

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

こんにちは。吉見です。 突然ですが、折り紙が苦手です。

明るく元気な職場をつくる、という趣旨で、毎月、季節にちなんだ手作りの飾り付けをする企画が私の部署にはあります。今月はいよいよ春到来。ということで、桜の花で職場を飾ることになりました。桜の花を折り紙で折る。いやはや、これが結構難しい。
企画のリーダーから懇切丁寧なマニュアルを頂いてはいたのですが、ちょっと立体的な動きが入ると、途端にこんがらがってよく分からなくなります。リーダーに教えを請いながらようやくひとつ完成。で、これで手順を覚えたかというとさにあらず。その後、数個織りつぶして、ようやく覚えることができました。

思いだすこと、数年前。当時の職場で千羽鶴をつくったことがあります。
鶴は定番中の定番。鶴を折るのは大人のたしなみ。とばかりに、皆、何も見ずともテキパキと上手に折りあげていきます。手が覚えている感じというか。私はというと、どうもうろ覚えで、手元も怪しく。鶴はスマートでシャープな感じが特徴ですが、完成したのは、それとはほど遠いものでした。ぼてっと太った感じで、シャープさのかけらもない鈍重さ。一回り大きいし。しかも、羽と胴体とがちゃんとくっついていない。恐らく、折る工程を2~3すっとばしていたんだと思います。とはいえ、20羽を折るというノルマがあるので、とりあえず、羽と胴体とをホッチキスで留めて誤魔化すことにしました。
でも、さすがにバレました。鶴を紐で通すという段になり、ホッチキスで留められた変なモノが混入していると騒然となりました。何てガサツで無粋な。「折り」だけで世界を表現するという折り紙の精神を冒涜する行為である、と。そこまで大げさではありませんでしたが、自らのガサツさと無粋さが暴露されたようでとても恥ずかしかった記憶があります。まぁ、自分で暴露したんですが。

さて今回。
職場は桜で満開となりました。
この桜は、今月末で職場を卒業する仲間の卒業式のために咲かせたものでした。なので、勿論、ホッチキスは使わず。思いを込めて折りました。

この季節がめぐり来るたび、いつも、

年年歳歳花相似(年年歳歳花相似たり)
歳歳年年人不同(歳歳年年人同じからず)

という詩句を思いだします。

来る年も来る年も花は同じような姿で咲くが、これを見る人は年ごとに変わっていく、という意味だそうです。
花の美しさと儚き無常とが重なり合っていて(原意はそうではないのかもしれませんが)、私にとっては、鼻の奥がツーンとなるような感じのフレーズです。

今回、卒業する仲間は、私たちみんなの心の支えでした。そして、その仲間から、私たちは「思い」というバトンを受け継ぎました。これを、今いる仲間とともに大切にし、まだ見ぬ仲間へと連綿とつないでいきます。卒業式に際して、このことを誓うとともに、仲間の新天地での活躍を心から祈念しました。
卒業してもいつまでも仲間。その仲間の印として、桜の折り紙は大切にしたいと思っています。

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