麹町・今は昔

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ライフネット生命 スタッフ

ライフネット生命の所在地は、東京都千代田区麹町にあります。皇居のお堀端まで歩いて数分のところです。春はお花見、秋は紅葉で、都心とはいえ自然を感じることができます。麹町近辺は、会社や飲食店などのお店もありますが、意外なのはマンションや学校が多いことです。出勤の際には、小学・中学・高等学校の学生さんと一緒になり、子どもと手をつないだお母さんやお父さんも見かけます。わたしが長く勤めていた新橋は広い道路で区切られた整然としたオフィス街でしたので、だいぶ雰囲気が異なります。生活する人や学生さんたち、そこにわたしたちサラリーマンが混在しています。人の暮らしが肌で感じられるあたたかみのある地区のように思われます。

「私は麹町元園町一丁目に約三十年も住んでいる。」と冒頭に記されているのは、岡本綺堂の随筆「思い出草」です。この作品の中で綺堂は、昔は蛇、狐、兎が出る草原で赤とんぼが雲霞のごとく飛んで数十匹も捕まえることができたが、今では数匹しかいないと書いています。綺堂が懐かしんでいる昔はおそらく明治20年頃の情景と思われます。以前に購入した明治26年出版の古地図(復元)には、確かに麹町元園町という町名があります。今お堀端にあるイギリス大使館は、イギリス公使館として記載されています。もしかしたら綺堂の住居は会社の近くではないかと、よくよく調べてみますと思いがけなくも会社の所在地とほぼ重なることが分かりました。

この土地に興味をそそられて、さかのぼって江戸時代はどうだったか知りたくなり、江戸切絵図(江戸市街を錦絵風に描いた地図)で探してみました。維新後の区画整理などで道が異なり会社の位置を特定するのはなかなか難しく、たぶんこの辺りは武家屋敷だったように思われます。イギリス大使館のあるところは、前田丹後守ほか4大名の大きな屋敷が並んでいますが、会社があるところは、旗本、御家人などではないかと思われる小さな屋敷が密集しています。会社の所在地と一番近いのではと推定できる場所には、その中でも比較的大きな敷地で「半田丹阿弥」と記されています。この氏名をネットで調べてみますと、元禄時代で場所も違い当時の資料では旗本のようでした。もしかするとその末裔なのかなと思わず想像をたくましくします。

江戸切絵図は幕末の1850年ごろ、綺堂の書いた情景は明治20年代の1890年ごろ、そして1945年は東京大空襲による敗戦の後でほとんど焼野原だったのではないでしょうか。わたしが過去をさかのぼったのは、今からわずか150年くらいに過ぎません。それでも明治維新、第2次世界大戦という歴史の大きな流れによってこの土地は、さまざまに変遷してきました。これから100年後の麹町近辺はどのように変化しているのでしょう。近代化がさらに進んで自然が失われているでしょうか。逆に緑化が促進されてみどりあふれる街に変貌しているでしょうか。それとも未曾有の事件、大災害などにより想像もできない事態となっているでしょうか。それはわたしには予測もつきません。ただ、わたしは人の暮らしと温もりのある今の麹町が失われることなく存続することを願うばかりです。

お客さまサービス部 中村でした。

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