おさがり

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

ふと小さい頃を振り返ってみると、山梨県で2人の兄と1人の姉を持って生まれたわたしは服やその他の与えられるモノが兄弟のお下がりだったことが多かったように思います。
当時は巡ってくるモノの使い古された感触に不満を覚えていました。

6月 小俣さん.jpg
(友人が開いたお店で買いました)

しかし、この歳になってみると、新しいモノではなく、むしろ人から譲り受けたモノを好んで使うようになりました。多くのモノが均質化している昨今、自分の買うモノや所有物に関して、機能的な側面を見つめた時に、差別化された価値を感じられるシーンが少なくなっているように個人的には感じます。そのため、緊急の必要性に駆られない限り、積極的に新品を買うことはあまりしなくなりました*1(一人暮らしを始めてから1年以上電子レンジを買わなかったり…)。
*1 但し、趣味のガジェット収集に関してはアグレッシブな態度で臨みます。

むしろ、類似しがちな機能ではなく、モノに付加されているユニークな文脈やストーリーがわたしにとってそれぞれのモノの価値を大きく高める要素になっているケースが最近は数多くあります。

家にあるモノで人から譲り受けたものをパッと上げてみると、
・テレビ(友人1)
・電子レンジ(友人2)
・机(長兄)
・イス(長兄)
・革靴(父)
などがあります。他にもたくさん。

ここで共通しているのは元の所有者をわたしがよく知っているということでしょうか。考えてみると、中古の電子レンジを使う、というのはもしかしたら抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんし、わたしも見知らぬ方が使った電子レンジであればきっと買わなかったのではないかと思います。身近な人からモノを譲り受けることによって、その人の存在を感じたり、思い出したり、そんなコミュニケーションがモノを介してされているような気がしています。

このように、身近な誰かとのかかわり合いの媒介として機能する側面を持つ有形/無形の財がみなさんの周りにもひとつやふたつ、あるのではないかと思います。卒業式のイベント、第二ボタンなど典型例です。バレンタインのチョコも本質的に渡しているのはチョコではなく、チョコというモノを媒介にした気持ちだったりしますよね。

ここまで来て考えてみると、生命保険にも家族や大切な人への想いを示すコミュニケーションツールとしての側面もあるとも言えます。きっかけがないと正面から向き合うことがなかなかない家族や大切な人との将来のことを、生命保険というコミュニケーションツールを媒介として、一度ゆっくりとお考えになってみてはいかがでしょうか。

マーケティング部
小俣

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