だらだらボタンで銀座再発見

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

還暦社員の鈴木です。1970年代に田舎から東京にでてきました。

田舎出身は 仕送りの多い人は鉄筋のアパートに住み、そうでもない人は 4.5畳ガスコンロひとつと流し+便所共同+風呂は銭湯 のモルタルアパートに住み、もっと少ない人は学校・親の会社・県人会の学生寮などに住みました。

安飲み屋は生ビールなんかなくて焼酎もなくて(当時はひどい飲物扱いだったような)日本酒の銘柄なども無くて、大瓶ビールとべたべたした日本酒熱燗だけでした。銀座などは行った事がなくて、関係のない場所でした。

会社に入って数年してから、仕事で必要なので?銀座で食事をしたり、お酒を飲むことがありました。どうもきっと自分のお金ではなかったので、居心地悪くていつも隅にちんまりしていたような気がします。少し馴れると自分で行ける居心地の良い小さな飲み屋や食事どころができるようになりました。そもそも銀座は余り安い店はなくて背伸びをする大人の街でした。

バブルを経てから、背伸びして行っていたような女将のお店はなくなり、安いお店が竹の子のように増えてしまいました。一方で大きい通りはすっかり様変わりのブランド店と大型化です。

人にはたいてい2つのスタートボタンがあって、仕事のときはキビキビボタン、休みのときはだらだらボタンが作動しているようです。渋谷、新宿などの人混みを避けて、休日に人の少ない銀座5丁目から8丁目あたりの裏道をだらだらボタンで歩いてみると キビキビボタンでは気づかなかった色々なお店があることが分かりました。

イタリアの壷だけ売っているらしい鍵のかかった暗い店やら、デュフィーやカンディンスキーのポスターを只で見せてくれる化粧品会社の小さなギャラリーやら、何でも鑑定団の審査にたまに出てくるらしい伝統ある版画版元屋さんやら、一見の客は絶対に来なさそうな50年は経っている傾いた地方料理屋さんやら、他にもどうやって食べているんだろうと思ってしまうような店もたくさん残っていました。お風呂屋さんまでありました。消費するだけではなくて、好事家の期待に応える街、大きい通りはずいぶん変わってしまったけれど、裏通りや小路に入ってみると歴史があってしぶとい街だなと思います。 

近頃、だらだらボタンで銀座を再発見してます。
保険も見直しを。キビキビボタンのライフネット生命は貴方の味方です。


  • このエントリーをはてなブックマークに追加する
  • Twitterでつぶやく

ページの先頭へ戻る