錆び付いた感受性

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

当社の社員ブログは、原則全員が持ち回りで書くことになっており、社員が100名弱となった今では4ヶ月に一度くらいの頻度で担当することになっています。ブログの執筆者は、掲載日の2週間ほど前に管理者からブログの掲載日の連絡を受け、ブログの担当が回ってきたことがわかることになっています。

自分の場合、ブログの掲載日を告げられた日から、行き帰りの電車の中で何を書こうかと思案が始まります。社員数が少なかった頃は、2週間に1度くらいの割合でブログを書いていた時期もありましたが、担当の頻度が少なくなったにもかかわらず、最近は何を書こうか困ることが多くなりました。

当社の社員ブログは日々の徒然を書けばよいとされていますが、少しばかり年を重ねて感受性が弱くなっているのか、久しぶりのブログでもネタが見つからずなかなか書くことは決まりません。「自分の感受性が弱くなっているのはなぜかなあ」と考えていたところ、ふと、有名クリエイターのエッセイ集を読んで感銘を受けたことを思い出して再読してみました。

そのクリエイターはほぼ全ての日本人が知っている作品をいくつも手掛けている方ですが、エッセイを読んで感じたことは、ざっくりいうと

・目の前で感じた事を過去の経験と結びつける
・日常のちょっとした不可解さに思いを巡らせる

この2つを大事にしているように思いました。
1つ目は、目の前で起きた事象について感じたことを、「そういえば過去に同じようようなことがあったなあ」と過去の記憶を引っ張り出してきて、自分がなぜそう感じたのか自分の中で昇華しているように思います。
2つ目は、日々感じるちょっとした好奇心を大事にし、なぜ興味を惹かれたのかを自分に問いかけることで、人間の根本的な喜怒哀楽へと広げているように感じました。

何かを生み出す人の創造性の源のほんの一部を垣間見た気がして、自分との違いを感じた読後感は今でも忘れられません。「感受性を豊かに」というのは簡単ですが、日常の中で意識的に感受性を高めることは簡単なことではないように思います。

と、感受性について書いてはみたものの、エッセイを紹介するわけにもいかないので、自分が感じた2つのことが読んでいる方に伝わっているかだんだん不安になってきました。「感じること」と「感じたことを表現すること」は別物ですが、このブログを書いてみて両方が錆び付いているような気がしてきました。

次回のブログもその錆びつきを味わいながら書こうと思います。

執行役員 成相

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