これからの私のボランティアPDCA

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ライフネット生命 スタッフ

監査部の富田です。
ボランティアの最初のとっかかりは、社会人になってからの献血(1975年)だったと記憶しています。随分前のことでした。会社の先輩職員が病気により輸血が必要になったからでした。血液型がO型で、健康に自信がありましたから、その後、献血回数は増えて行きました。献血ルームに立ち寄ることもしばしばありました。そしていつの間にか400ml献血が定着して、ある種の社会貢献が実感として出て参りました。

植樹や間伐の作業も、奥多摩(東京都)や富士見町(長野県)で、何回か行ったことがあります。この種の作業は体力勝負?になる局面もありますが、大勢の有志と行いましたので、頑張れました。とりわけ、林業家のご苦労話は記憶に残りました。森を育てる大切さ(苗木から成木迄の時間が掛かること、採光が十分かどうかのチェックが必要なこと、全ての木は育てられず、間引きも必要なこと等)を理解するようになりました。

各種ゴミ拾い・掃除も、大小問わず、数多く参加して来ましたが、大山(神奈川県)での作業が驚きでした。中腹から山頂までの道沿いのビン、缶、ペットボトル等が想像以上に多く放置されており、下山して収集されたゴミの量はトラックが必要な程でした。
(主催者の方のお話しでは、時間が経過すれば、またゴミが溜まり出すとのことで、愕然としたものです。)

ユニセフへの募金もクリスマス時期に行ったのを契機にて、断続的ですが、些少であっても継続しております。後日送付されてくる資料には、寄贈のお金でワクチンが必要な子どもへの支援になると記載されてあります。内容的に、緊急性が高いことから今後も少しでも継続して参りたいと思います。

ライフネット生命に入社してからは、地元「千代田区のボランティアセンター」の会員になり各種イベントに選別参加しております。勤務とボランティア活動のバランスが必要ですが、平日夕刻からと土曜日を利用しての参加が比較的定着しております。特に、車椅子操作体験を通じて、利用者へのサポートの在り方を勉強して来ましたが、「ちよだバリアフリーマップ」の作成のお手伝いは、相応に意義深いものがあります。坂道の多い区内での車椅子移動は、周囲への気配りと体力を要することが経験して初めて分かる事です。

しかし、ボランティア活動で一番苦心していることは、東日本大震災後の対応と思います。
残念ながら、これまで現地へ出向いての活動は、まだ2回だけです。(福島県いわき市でのガレキ撤去、宮城県石巻市での牡蠣養殖の下作業)体力・根気・使命感をフル活用しての作業でしたが、遠征での実質的な活動時間は、限られておりますので、やり残しが出ることで妙に、中途半端に終わった感触が残るものでした。
ただ、他の参加者と連携しながら作業しましたので、意外に根気良く活動出来、また機会を見て参加しようと思いました。

また、遠征しなくても、震災の影響を受けた各県の県産品の購入(直接またはネット)は適宜、自己判断でこなしております。
震災支援のマラソン大会にも参加しましたが《東北につなぐTASUKI》を意識して沿道のボランティアのみなさん達とのハイタッチで、元気を頂いて何とか完走しますと妙に嬉しさが込みあげて来ましたものです。
ボランティア活動は種類も多く、個人として簡単に参加出来るものもあれば、グループで大掛かりな作業を分担して行うものもあります。これからは、これまでの経験と反省を踏まえ各種ボランティア情報を収集・選別の上、中身の濃い活動にしたいものと考えております。

PDCAサイクルで考えますと、Dを意識する余り、重要性の判断、優先順位づけを考慮しないで行うと一年後に、意外にも回数、中身も十分満足出来ていないことに気がつきます。やはり、Pに対する吟味が大切で、より効果的なサイクルを回してボランティアに取り組めたら良いかと思っています。
その為には、日頃の健康管理(ボランティア活動はかなり体力を必要とします)をしっかり行うと共に、また家族の賛同(費用が掛かることと家を空けることになる為)を得ながら行う事が大切だと思います。

私はまだまだ、生活上、恵まれている方ですので、これまで以上に、取り組むべき活動につき、より積極性を持ってチャレンジしたいと自分に言い聞かせております。
ボランティア活動は文字通り、自ら進んで行うものですから、その精神を念頭におきつつ活き活きと一年でも長く継続したい、と思っております。参加後の爽快感と満ち足りた気持ちが色褪せない限り・・・・。
3月 富田さん.jpg

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