わたしの好きな落語鑑賞

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ライフネット生命 スタッフ

わたしの趣味のひとつに落語鑑賞があります。たんに落語といえばすむものを、鑑賞という余分なことばがついているのはわけがあります。高校に入学の際に落語研究会があることを知り入会しようとしたところ、いきなり教室の先生の机のうえに置いた座布団に座らされました。好きな噺を一席お願いしますといわれたのです。落語を聞くことは好きだったのですが、みずから演じようという思いはなかったので困ってしまいました。やむを得ず好きな落語のことや自己紹介で、ごまかすほかはありませんでした。そんなことからことさら鑑賞ということばを入れています。

小学校入学前で記憶もさだかではないのですが、父親につれられて上野の寄席に行きました。口でくわえた撥(バチ)のうえで土瓶を回している曲芸の情景を、子ども心にもぼんやりと覚えています。幼かったので落語や漫才はよくわからなかったと思います。小学校に入ってからは落語、漫才、浪曲などのラジオ放送を一家で聞いていました。そんなことで落語は身近にあり自然と好きになったのだと思います。中学に入学してからはテレビでも観ることができるようになりました。

高校以降は好きな噺家ができましたが、実際に寄席に足を運ぶことはまれでテレビやラジオ、またはレコードが中心でした。そんな中で特に名人・達人などといわれた古今亭志ん生や桂文楽は、ナマで見て聞くことができました。このふたりの高座は、演目や場所など今でも鮮明に記憶に残っています。その後、ナマでも接したのはおもに三遊亭円生です。その円生も昭和54年に突然亡くなってしまいました。

その後は落語から遠ざかっていましたが、たまに通勤経路で途中下車して寄席に行くこともありました。ここでは落語だけ本格的に聞くというわけではありません。落語の間に漫才や色ものといわれる奇術や紙切りなど多彩です。そもそもお笑い系に興味があるので漫才なども好きです。客のまばらな小さな寄席で笑わせようと必死に演じている芸人と白けた客席を見ると、なんと人を笑わせることは難しいかと思います。同じことを演じてもおかしくて爆笑することもあるのに、違う人が演じるとくすりとも笑わないといったこともまれではありません。また、演者の話芸により情景や人間心理がありありと思い浮かべられて心底魅了されることもあります。

ここ数年は、DVD・CD、ユーチューブやテレビ放送の録画などで、見て聞いています。昔の人ばかりではなく、現在活躍している噺家の落語を聞くことも多くなりました。昔の名人や達人は、わたしのなかで神格化してしまっているのでそれを超える人はなかなかいません。しかし、顧客の受けばかりを狙うのではなく、懸命に芸に取り組んでいる人の姿には心うたれるものを感じます。「芸は人なり」といいます。なにごとにおいても、その人となりが大切なのかもしれません。

保険金部 中村でした。

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