真珠のウラオモテ

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ライフネット生命 スタッフ

何気なく見えている光景でも、その奥に隠された意味、経緯を知るとはっとすることがあります。
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先日、新婚旅行でクロアチアに行ってきました。東欧と呼ばれるエリアですが、西ヨーロッパとの関わりも深く、海沿いの地域は一時期ヴェネツィア共和国の配下にありました。ツアーであちこち巡ったのですが、やはり目玉はアドリア海の真珠と言われるドゥブロヴニクです。旧市街地をぐるっと囲む城壁から見えるオレンジの瓦屋根は、ジブリ映画「魔女の宅急便」の舞台を彷彿とさせます。
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ところでこの写真、よく見ると手前と奥の家で瓦の色味が異なります。奥の鮮やかな瓦屋根は、この20年以内に作られた比較的新しいものです。一方手前のくすんだ瓦屋根は、それ以前に作られた古いものです。

なぜこんな至近距離で違うのか。それは爆撃で破壊された屋根と、そうでない屋根の違いです。鮮やかな瓦屋根は、20年前、クロアチアが旧ユーゴ連邦から独立しようとした際にセルビアから受けた爆撃により破壊され、その後修復されたものです。つまり古い瓦屋根は、爆撃を免れたものです。

そのことを頭の片隅に置きつつ、冒頭に貼った写真を見ると、随分見方が変わります。
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街を覆うのは、鮮やかな新しい瓦屋根。くすんだ古い瓦はごく一部です。今やドゥブロヴニクをこえ、クロアチアの観光におけるシンボルとなったこの美しい光景は、すなわち旧市街地の殆どが砲弾の雨に晒されたことを意味しているのです。

1991年、クロアチアが旧ユーゴスラビアからの独立を宣言。隣国のセルビアは反対し、クロアチアセルビアはと戦争状態に突入します。しかし歴史的価値があり、かつ人口が多いわけでも軍事施設があるわけではないドゥブロヴニクは攻撃対象ではないと予想されていました。そのスキを突かれ空海両面から砲弾が降り注ぎ、アドリア海の真珠は炎の海と化します。独立後、国際社会の支援を受け復興し、ようやく観光地として注目され始めたのがこの数年というわけです。

……とここまではガイドさんの受け売り。さらにこの話には別の側面があります。

クロアチア含めた旧ユーゴスラビア諸国の独立紛争の中で、最も熾烈だったのはボスニア・ヘルチェゴビナの独立です。クロアチアよりも民族のバラつきが大きかったこの地域は、紛争が長期化し、最終的にNATOがセルビア側を空爆し決着が付きます。この間、セルビア側勢力はセルビア民族以外の「浄化」を図り、他民族を虐殺したとして国際的な避難を受けます。「民族浄化」というキーワードはボスニア紛争をきっかけに広まりました。NATOのセルビア空爆も、この民族浄化に対する憎悪が支持の裏にあったのです。

しかしこの「民族浄化」に対する国際的な批判は、アメリカのPR会社によって作られたものだったといわれています(高木徹『戦争広告代理店』より)。もちろん、セルビア側による破壊的な行為はあったものの、そのままでは東欧の内紛として誰も注目せず、NATOを引っ張り出すほどの事態にはならなかったでしょう。

旧ユーゴスラビアはもともとバラバラだった国々が、チトーという圧倒的なリーダーシップを持った大統領のもと、ギリギリまとまっていた場所です。そしてセルビア人は、その元の国々で、国境を守る傭兵として各地に散らばっていました。そのためユーゴスラビアが崩壊した場合、セルビア人は最もバラバラになる民族の1つだったのです。彼らが旧ユーゴというシステムを守ろうとした背景には、それなりの歴史的経緯があります。

旅行中、実は一瞬だけセルビア国内に入る機会がありました。ドゥブロヴニクは飛び地で、首都ザグレブからドゥブロヴニクに向かう際、セルビア国内の道路を通過せざるをえないのです。

そのセルビア領域を通る道路も、きちんと整備されたのはごく最近だといいます。前後のクロアチア領域に当たる道路はもっと以前から整備されていたにも関わらず。観光資源がなく、かつ国際社会から「民族浄化の主犯」とされたセルビアには支援が集まらず、復興の元手となる財源がないままなのです。

色々な意味で、ヨーロッパの歴史を体感した旅行でもありました。

営業企画部 伊藤

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