48年間の生命保険会社勤務

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ライフネット生命 スタッフ

わたしが社会人となって生命保険会社に入社したのは、昭和45年(1970年)4月1日でした。あれから実に48年間が経過してしまいました。当時はオリンピック後ではありましたが高度成長期が継続しており、昭和時代の最盛期でしょうか。給与は入社時からうなぎ登りに上昇していくような時代でした。第一次オイルショック直前の今から48年前、ほぼ半世紀前のことです。入社同期は男性30名、女性50名以上でたぶん100名はいたと思います。禅宗のお寺での修行や話し方教室での研修、会社の研修所での合宿などさまざまな研修が1か月間続きました。

研修後5月にわたしは財務課に配属となりました。わたしの仕事は貸付係で、伝票の作成、帳簿への記載、貸付金の利息計算などです。これはすべて手作業で行うのですが、帳簿への記載などはつけペンで行っていました。つけペンとはインク壺のインクにペンを浸して書くものです。これはなかなかわたしには書きにくいものでした。わたしの苦手のもう一つは、利息の計算でした。とにかく財務課には電子卓上計算機は一台しかありません。たしかC社製のもので40センチ四方くらいはあったでしょうか。その割に性能は今の手に乗るくらいの電卓程度だったろうと思います。その一台も誰も座っていないデスクの上に鎮座している特別な存在のため、とても新入社員が使用できるものではありません。そのためソロバンでこの利息計算をしなければならず苦労したものです。

当時の社内の風景で驚かされたのは、和服を着て仕事をしている人がいたことです。1月4日の仕事始めには、振袖を着て出勤する女性も多かったですが日常ではまれでした。また、今では当たり前のように毎日使用しているコピー機も社内で一台しかなかったと思います。通常は専用のコピー用紙を使った青焼きのコピーというものを使っていました。今のようなコピー機は中年の女性が専用職員として使用をまかされており、その人に依頼書を提出してコピーしてもらう必要がありました。正式な文書の作成などもワープロやパソコンのない時代ですので、活字の和文タイプライターで打って作ってもらっていました。そのために専任の女性タイプライターが相当人数いました。

その後半世紀近くが経過した現在のオフィスでは、IT化が進み当時の状況からはとても想像ができません。その生命保険会社には42年間在籍し、平成24年3月末日で退職し翌日4月1日からライフネット生命に入社して今日にいたっています。生命保険業界に身を置く者として感じるのは、「モノ」を扱う一般の事業会社とは仕事のスタンスが若干異なるのではないかということです。業務のうえで判断を求められるときは、お客さま全体を考慮した公正で公平なスタンスに基づく対応でなければなりません。特定のお客さまや一部のお客さまに対する利益あるいは不利益となる対応は許されません。そのことはわたしが入社した当時、それ以前から変わることのない生命保険事業の本質だと思っています。それは理念や理論のことではありません。生命保険会社に勤務する者は、実際の業務を遂行するなかで常にそのことを心がけています。

過去を顧みて生命保険業界だけしか経験がなく後悔していないかといいますと、確かにほかの世界を見れていないとは思います。しかし、それはいずれを経験したところで同じことかもしれません。けっきょくは自分の世界でしかありえないわけですから。そういう意味で後悔のしようもありません。ただ、今のわたしの気持ちとしては素直に生命保険会社に勤務することができて良かったと感じています。

保険金部中村でした。

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