物干し竿で世界は色づく

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

「あなたと出会ってから世界が色づいて見えたの」
こんな内容のセリフだったか、歌を聞いて、自分にはそんなロマンチックなフレーズ、関係ないのだろうなあと思っていました。

きっと、「世界が色づいて見えた」とは、その人の存在や行動が周りの世界を輝かせて見せたとか、取るに足らない日常もあたたかく感じたとか、そういうことなのだと思います。

最近、引っ越し前に物干し竿を捨ててしまったことで、ふとそのフレーズが頭に思い浮かびました。

引っ越し後、洗濯物を回してから気づいた、物干し竿の不在。
居場所がない濡れた洗濯物たちは、わたしの部屋のちょっとしたひっかかりにかけられていくことになりました。洗濯物たちに謝りたい、悲しい光景です。うまくひっかからず、床に落ちた洗濯物を拾う空しさ。

物干し竿がなければ、風に揺らめく洗濯物を眺めて達成感を味わうこともできません。
澄み渡る青空に、真っ白なシーツやTシャツが干されるあのさわやかなCMも、物干し竿がなければなりません。物干し竿によって色づいていた世界。全く気が付きませんでした。

この場合は、「あなた(物干し竿)と出会ってから世界が色づいて見えたの」ではなくて、「あなた(物干し竿)を失ってから、実は世界が色づいていたことに気付いたの」です。

そんなことを思っていたら、自分も、物干し竿以外でも「あなたと出会ってから世界が色づいて見えたの」と言えるのではないか、と考え始めることになりました。
自分の世界や日常が、誰かの影響で、自然とつくられていたことは、山ほどあるなあと気づけました。

帰宅したら今日のおやつと、今日の夜ごはんを聞くのが習慣になったのは、母がいつもおやつとごはんを準備してくれたから。
寝ている人に毛布をかけてあげて、首のところを、とんとんとつめるのが大切と知ったのは、父が小さい頃にいつもそうしてくれたから。
一人で暮らしてもおやつとご飯を楽しみにがんばれるワクワク感と、毛布のすきまをつめてもらえるあたたかさは、わたしの日常と見える世界にちょっとした色をつけてくれたと思います。

失う前に気づくのでなく、今気づけてよかったなあと、洗濯物を拾いながらしみじみしました。
もうすぐ迎える母の日と父の日には、きちんと感謝を伝えたいと思います。

マーケティング部 安藤

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