役に立たないかもしれないけど

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

「ある青年がエウクレイデスについて幾何学を学びはじめた。
最初の命題を学びおわると、青年はエウクレイデスに『こんなことを学んでどんな得があるのですか?』とたずねた。エウクレイデスはただちに奴隷を呼んでいいつけた。
『この男にお金を3ペンスおやり。この男は、学んだからには何か得をしなければならないそうだから。』」(『初等数学史 上 古代・中世篇』フロリアン・カジョリ著・小倉金之助 補訳・中村滋 校訂 ちくま学芸文庫)

数学の中に整数論という分野があって、以前読んだ整数論の本の冒頭に
「この本に書いてあることは何か世の中の役に立つようなことではないし、役に立つことがあっても私たちの生きている間ではないでしょう」(どの本だったか思い出せないので、うろ覚えですが)みたいなことが書いてあって、「そりゃそうだろうな」と思いつつ、著者の率直さにびっくりしたことがあります。

19世紀最大の数学者の一人であるガウスは、整数論が美しい理論であるだけでなく、他の分野の役に立たないからこそ「数学は科学の女王であり、整数論は数学の女王である」と言っています。

ガウスにとって皮肉(?)にも、現在、整数論は暗号理論に応用されてインターネットの技術に欠かせないものとなっています。
先にあげた本の著者もたぶん存命のことと思います。何がどう役に立つか、わからないです。

とはいえ「役に立つ」だけが唯一の基準ではないはずです。

「方程式が解けたからって、何の役に立つのか」とか「公式を覚えたって、大人になって使うことはない」とか、「役に立つのはすばらしい」かもしれませんが、「すばらしいことはみんな何かの役に立つものである」わけではないのだから、こういう即物的な基準だけで「数学を学ぶ理由」「学校で数学を教える理由」を説明するのはムリがあると思います。

「論理的思考力を養うのに役に立つ」というのも、数学じゃなくてもできるだろうといわれれば反論しにくいわけで、結局「役に立つかどうか」の部分だけで議論してしまっているので、「なぜ数学?」には答えられないような気がします。

もっとも、それ以上の説明ができていたら、「こんなこと勉強したって意味ない」といわれないでしょうけれど。難しいところです。

そういえば、私は就職してアクチュアリーという数学を使う職業に就きました。
そういう意味では数学が役に立っているかもしれませんが、サイン・コサインって使ってないですね。

数理部 岸本

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