期待を裏切らない存在感

投稿者:
ライフネット生命 スタッフ

暑さも寒さも彼岸まで。
と、本当に朝晩吹く風が秋らしくなってきました。

今年の夏は縁あって、私も「富士山登頂&ご来光を拝む」を達成することができました。
何故「縁あって」という表現をしたかというと、振り返ると2月、都心でも結構な量の雪が夜遅くまで降りしきり、翌日富士山周辺を日帰りで巡る予定を一度はあきらめかけたところ、朝起きてみたら嘘のように見事に晴れ渡り、銀世界の中に綺麗に雪化粧した富士山がまるで来るのを待っていてくれたかのように眼前に現れました。
「…待っていてくれたかのように。」正直不思議とその時そう感じられてならなかったのです。

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東日本大震災を経て5月、出かけるついでに飛行機の外に目をやると、なんと富士山を真上から見下ろす状態に。
私にとってはめずらしいアングルだったので、急いでデジカメにパチリ。
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そして、いよいよ5月末に社内で富士山登山計画が持ち上がり…
富士山はこれまで小学校時代と、社会人になって3,4年目の頃毎年恒例の社内行事に突然駆りだされて5合目まで行ったことがあっただけでした。
周辺で「富士山に登った。」という話は最近の登山ブームのせいかよく耳にしていましたが、遠くから眺めるだけでまったく自らが登ることには興味が湧きませんでした。
が、なんとなく今年に限っては富士山に何か訴えかけられているみたいで、いつになく気になる存在だったので、「やっぱりそういうことだったんだ。登るなら今。」と即決しました。

登ってみて高山病予防に熱心に努めながらも、仲間に励まされながらも、やはり途中辛かったのは言うまでもありませんが、思えば大人になると自然と自分が好む楽な方ばかりを選択していて、この登山も望んだから来たのであるけれども、やってみて本当に心身ともに限界まで追い込んで、我慢して、乗り越えるという達成感を久々に味わうことができたからこそ、言葉では言い表すことができない心地良い充実感を味わえたのだと思いました。

また、登山ってどこか社会生活の縮図であるような感じがしたのも事実です。
遠くからただ眺める富士山は美しく、優しそうだけれども、実際に山に足を踏み入れてみると、山道は溶岩でゴロゴロザラザラしていて、動植物は生息しておらず、無味乾燥で単調な景色をただひたすら黙々と進むだけ。これもまた何かに通じることだと思うのです。

下山して夕日に映える富士山を見た時は、「あれに登ったんだ~。」という感無量の思いと、これまでと見方がまったく変わったことにまた驚きました。
もちろん、富士山は日本が誇る最高の山であることは私の中でゆるぎません。

マーケティング部 高尾 美和

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